僻みっぽい女というのは、話していてお互い不愉快になってしまったり、傷付け合ってしまったりと、なかなか付き合いにくい存在です。
また女性の中には、自分でも気が付かない内に僻みっぽくなっているという人もいます。
できれば事前に避けたい、ならないよう気を付けたいものですが、そもそも僻みっぽい女性というのはどのような人のことなのでしょうか。
そこで今回は僻みっぽい女性についてご紹介しますので、ぜひあなたやあなたの周りの女性と比較しながら最後までご覧ください。
僻みっぽい女性
他人に対する褒め言葉に傷付く
僻みっぽい女性と話していてうっかり他人のことを褒めてしまった場合、女性は傷付いてしまうかもしれません。
誰かが素晴らしい人であるという言葉が、僻みっぽい女性には、自分は素晴らしい人ではない、という否定の言葉に聞こえてしまいがちなのです。
もちろんそのふたつに因果関係はありません。
誰かを肯定したからといって、他の誰かを否定することにはならず、全く別の話なのですが、それを結び付けて考えてしまいます。
つまり僻みっぽい女性は、褒め言葉そのものというよりも、自分自身の考え方で自分を傷付けてしまうのです。
他人の幸せに傷付く
前述の場合と同じように、僻みっぽい女性は、他人の幸せなニュースにも傷付いてしまうことが多々あります。
自分の持っていないものを他人が持っている、という事実が彼女たちを傷付け、ときには嫉妬が怒りを呼び起こすことさえあるのです。
特に、自分と深く関わりのある相手、深く関わりのある幸せほど、僻みっぽい女性を傷付けます。
自分の元にはない、ということを、より実感してしまうからでしょう。
ひとつのものを奪い合っているわけではない以上、他人が幸せになったからといって、彼女たちが幸せになる可能性がなくなったわけではないのですが、今自分にない、ということを悲観的に捉えてしまうのです。
他人を悪く言う
これらのことと関連して、他人の悪口を言うということも、僻みっぽい女性の特徴と言えます。
他人が恵まれているという状態に、自分と比較してしまい傷付けられるため、それを認めようとせず、代わりに他人を貶めようとするのです。
自分のことを恵まれていないと思っていることが多いため、自分と同じところか、それ以下まで相手を引きずり下ろすことで心のバランスを取ろうとしてしまうのでしょう。
たとえば、あの人は仕事ができるが顔が悪い、という具合です。
もちろんこの場合、仕事ができるということと顔の美醜は関係しないため、仕事の能力まで否定できているわけではありません。
しかし、このふたつを関連付けて、マイナスな面があるから全体としてマイナスである、という考え方をしてしまうこと自体が、僻みっぽい女性の特徴でもあるのです。
この考え方が彼女たちの自信を失わせ、傷付けてしまいます。
悪口は彼女たちの、せめてもの自分を守るための手段なのかもしれません。
褒め言葉を信じない
他人を褒めることで傷付くからといって、彼女たちを褒めればいいかと言うと、そうとも言えません。
そもそも褒め言葉を素直に受け取ることのできるタイプの人は、自分に対して十分な自信を持つことも容易なため、僻みっぽくなりにくいと言えるからです。
つまり逆に言えば、自分を否定する僻みっぽい人は、誰かからの褒め言葉をそのまま受け取ることが、あまり上手ではないのだと言えるでしょう。
また前述の通り、自信のないところがある以上、なにかひとつ自信を持たせようとしても、なかなか難しいことでしょう。
すべてにおいて自信がない
上で述べたように、僻みっぽい女性は自分に自信がありません。
常に自分のことを否定していると言ってもいいかもしれません。
どんな人でも、自分にないものを持つ人を見れば、多少は羨んだり、嫉妬したりするものです。
それでも、自分には何があるのかということを知っている、つまり自信を持っている人ならば、僻みっぽいというところまでいかずに、自分の感情を上手くコントロールすることができます。
自分にはないものがある、しかしあるものもある、ということが分かっているため、固執せずに済むのです。
僻みっぽい女性の大きな特徴として、自分の支えになるような自信を持てていない、ということが挙げられるでしょう。
僻み根性丸出しの女は好かれない
いかがでしょうか。
僻みっぽい女性というのは、他人に対して攻撃的になることが多々あります。
褒められた人や幸せな人などを見ると自分と比較するのは他の人と同じですが、彼女たちの場合には、極端に低い自己評価のために、その傷付き方も大きなものとなりがちです。
自己評価の低さは、自分自身に対する厳しすぎる視線のせいであると言えます。
なにかひとつの長所があったとしても、それに満足することができず、自分のよくない面ばかりを見てしまうのです。
他人に対して攻撃的なのも、自分自身に対するのと同じ厳しさを向けているだけ、とも言えるかもしれません。
また、比較したときに傷付くことを防ごうとするときに、相手を下げようとしてしまうのも、自分自身の成長を期待できていないからだと言えるでしょう。