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余計なお世話をする人の6つの心理とは?

余計なお世話をする人とは、当人が望んでいないのに、勝手な憶測で「これを望んでいる」と思い込み、それを実行する人のことです。

本人が望んでいないのに、あれこれやられるのは迷惑極まりないですし、おまけに「良いことをしてあげた」なんて思われていたりなんかすると嫌ですよね。

しかし、なぜ多くの人は余計なお世話をしてしまうのでしょうか。

そこで今回は余計なお世話をする人の心理についてご紹介していきますので、ぜひあなたやあなたの周りの人に当てはまるかどうか確認しながら最後まで御覧ください。

余計なお世話をする人の心理

 

人の世話をする自分が好き

 

困っている人を助ける行為、人のためになる行為は、言うまでもなく善行です。

目の前に助けを必要としている人がいるなら、その人のために力を貸してあげることは、まちがいなく倫理的に優れた行為と言っていいでしょう。

つまり、人の世話をすること自体は悪いことではけっしてありません。

余計なお世話をする人は、自分はそのような善行をしていると信じて疑いません。

自分は相手に対して、その人にとってプラスになること、その人の利益になることをしてあげていると思い込んでいるのです。

そして、そのような行為を積極的に行うことができる自分は善人であるという強い自負心を抱いています。

そのため、余計なお世話をするたびに、「良いことをした」と思い、善人である自分を再確認すると考えていいでしょう。

人の世話をするのが好きな人は、「人の世話をする善人である自分が好き」という心理をもっているのです。

余計なお世話をする人には、そうした強い自己愛があり、人の世話を焼くたびに、その自己愛を満足させているという心理的特徴があるということになるでしょう。

そうした自己満足の世界に住んでいるのが、余計なお世話をする人なのです。

相手の気持ちになって考えることができない

 

余計なお世話をする人は、自分の行為はあくまでも「人のためにする世話」であり、それが相手にとっては余計なものであることに、まったく気づいていません。

ふつうの人は、たとえば近くにいる人に対し、「こうしてあげたほうがいいのではないか」と思った時、その人の身になって考えてみるものです。

自分ではそうしたほうがいいと感じてはいるけれど、そういうお世話をしたら相手はどう思うかを考えてから、行動に移すのがふつうでしょう。

そして、「相手はかえって迷惑に感じるのではないか」と判断した場合は、その世話をすることを思いとどまるわけです。

余計なお世話をする人は、そうした考察をすることがありません。

自分が「こうしてあげたい」と思うと、相手の気持ちなどまったく考えずに、すぐに行動に移してしまうのです。

前項で、余計なお世話をする人は、自己満足の世界に住んでいるという話をしましたが、その世界に住んでいるのは自分一人なのであり、そもそも相手はその世界の住人ではないのです。

自分の心の世界には存在しない人なのですから、その人の気持ちを慮ることをしないのは、むしろ当然のことと言っていいでしょう。

承認欲求が強い

 

人と関わることが大好きなのが、余計なお世話をする人の大きな特徴でしょう。

頼まれもしないのに、自分の方から積極的に人と関わり、その人のためになることをしてあげようとするのですから、当然、人とのコミュニケーションが大好きということになります。

そこには、人と関わり、人から評価されることによって、自分の存在意義を確認しようという心理が隠されています。

「自分」というものを、他の人との関りの中でしか確認できないのが、余計なお世話をする人の特徴という言い方もできるでしょう。

余計なお世話をする人は、あくまでも自分は相手にとって良いことを行っていると信じていますから、そうした行為をすることによって、相手から高い評価を得られると信じて疑いません。

そのように人から評価され、人から好かれることで、自分の存在意義を確認しようとしているわけです。

人との関りが薄くなると不安になり、人と関わることで人に自分の存在を認めてもらい、その結果、自分はたしかに人の役に立っているという確認をしたいのが、余計なお世話をする人の心理なのです。

ひとことで言えば、承認欲求が強いというのが、余計なお世話をする人の特徴ということになるでしょう。

良い人だと思われたい

 

誰かの為に、自分が犠牲になったり時間を割くことによって、「きっとありがたいと思われている」「優しい人だと思われるはず」という思いを持つ人は、人が迷惑に感じていることはお構いなしに、余計なお世話をしてしまうことがあります。

自分が相手に対して何かをやってあげたいと思うのではなく、「こう思われたい」という願望があり、その願望を現実のものにするために、行動に移していると言える状態です。

お世辞であっても「ありがとう」と言われることで、相手にとって自分が良いことをしたという認識をする。

そしてその行動を続けることによって、自分のイメージが良くなったり、「こう思われたい」と思っている人物像に近づけることができるため、一つの自己満足と言えます。

自分をどう見せたいか、どう見えているかを気にする人に多く、優しい人だと思われたい、良い人だと思われたいという目標が願望があり、余計なお世話までしてしまう。

相手から感謝されたり、頼りにされることで、嬉しさや楽しさを感じるようになり、余計なお世話を続けてしまうのです。

このようなタイプの人は、誰かに何かをするという気持ち以前に、自分をどう印象付けるかを気にしている為、計算的な行動と捉えることもできるでしょう。

 

「見ているだけ」ができない

 

せっかちな人、突発的な人、周りに厳しい人などは、「見るだけ」ということができません。

様子を見たり、陰ながら応援するということができないこのような人達は、見ているうちにイライラしてきたり、「こうやればいいのに」とつい口や手を出してしまうのです。

相手からしたら「今やろうと思ってたのに」「頼んでないのに」と嫌われてしまう行動も多く、先回りした行動が多くなったり、待つことができないといった面が見られます。
ついつい反射的に行動に出てしまうため、自身でも「お節介なことをしている」「余計な行動だ」と自覚していることもあるでしょう。

しかし黙って見ているだけ、見て様子を伺うといった行動が苦手なために、つい余計なお世話をしてしまうのです。

「相手のためになるだろう」「いい人に見られるだろう」という思いではなく、「見てられない」「早くしなよ」と急かしていることが多く、我慢することができなくなってしまうのです。

そのため、誰でもできるようなこと、助けが必要ないことに対しても、余計なお世話をしてしまうので、煙たがられることも少なくないのです。

関わりを少しでも増やし見返りを求めたい

 

余計なお世話をする人の中には、関わりを少しでも多く持って、信頼関係や絆を深めたいと思っている人もいるでしょう。

例えば余計なお世話にあたることであっても、その人と少しでも関わっておけば今後の関係に繋がると思ったり、恩を売ることができると思っている。

多少でも関わりを持てば、相手にそれなりの「貸し」を作ることができるため、後々自分が困った時や助けが必要な時に、見返りを求めることができるという考えです。

それが余計なお世話だとしても、「あの時やってもらったしな」「手伝ってもらった過去があるしな」と、相手に思わせることができるため、いずれ見返りを求められると感じているのかもしれません。

このようなタイプの場合、見返りになる行動をしないと、誤解されてしまうこともあります。

「あの時やってあげたのに、やってくれない」と妬まれたり恨まれることも少なくなく、貸しを返してくれないと感じてしまうのです。

頼んでもないこと、助けを求めてもないことを、率先してやろうとする人には少し注意が必要です。

余計なお世話だとしても、それに対しての見返りを求めている人もいるため、後々厄介なトラブルや問題になりかねないのです。

 

余計なお世話をする人の心理の基本は自己中

 

いかがでしょうか。

余計なお世話をする人はどの環境にでもいます。

その人達の心理の共通点は「自分本位」ということ。

自分が満たされたいからこそ、相手が望んでいないことをまでやってしまうのです。

自分自身をコントロールするのはとてもむずかしいので、誰もが余計なお世話をしてしまう可能性があります。

誰かから余計なお世話をされて嫌な思いをした経験がある人は、そのことを胸に刻んであなた自身も注意するようにしましょう。

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