見返りを求めない人とは、相手に何かしてあげたにも関わらず、その報酬を得ない人のことです。
こうして聞けば一般的だと思われるかもしれませんが、ビジネスの世界などではあまりありません。
やはり対価を払うことが一般的な常識ですし、礼儀なのです。
しかし、そんな中でも見返りを求めない人は一定数存在します。
そこで今回は見返りを求めない人の特徴や心理についてご紹介していきますので、ぜひあなたやあなたの周りの人に当てはまるかどうか確認しながら最後まで御覧ください。
見返りを求めない人の特徴や心理
自分が返す側だと思っている
見返りを求めない人の中には、「この間してもらったから」「いつもお世話になってるから」と、自分が返す側だと思って行動している人がいます。
日常の些細な出来事であったり、話を聞いてもらったこと、いつも一緒に居てくれることに感謝をしており、そのお返しとして相手に親切丁寧にしているのです。
ちょっとしたことに対してでも感謝の思い、あるいは申し訳ない思いを抱きやすい人は、常日頃から相手の恩を感じているはず。
そのために、自分がしてあげることは当然、お礼の気持ちを込めて、といった思いで親切丁寧に接してくれているのでしょう。
当たり前のことを当たり前だと思わず、そこに「ありがたい」という気持ちを常に持っているからこそ感じているもので、相手に自分が返している側と思えば、それに対しての見返りは当然求めません。
純粋な人、素直な人、人に対しての感謝が強い人は、見返りを求めての行動ではなく、感謝のお返しとして行動していると捉えることができます。
普段から相手に感謝し、いざという時に自分がお返ししたいという気持ちでいるため、その人にとっては恩返しでしかないのです。
相手に過度な期待はしない
「あの人ならこうしてくれるはず」と、相手に過度な期待を持って接すると、自分がする行動に対しての見返りを求めてしまいます。
しかし逆に、「この人だから無理だろう」と相手に対しての期待値が低ければ、過度な期待は持たず、見返りを求めることもありません。
相手に対してハードルが低く、「できないであろう」「しないだろう」と思っていることで、してもらわないことが当然だと感じるのです。
例えば恋人がいる人は、自分の誕生日に「恋人からプレゼントがあるかもしれない」と、サプライズを期待してしまいます。
その期待のせいで、サプライズがなかった時にショックを受け、傷ついてしまうのは自分自身です。
期待することで後々ショックを受けてしまうこと、これを経験して分かっている人は、人に対して過度な期待をしないことで、自分の身を守っているということも考えられるのです。
見返りを求めることは、期待してしまうことに繋がり、後に自分が傷つく原因になってしまう。
こうしたことが理由で、相手に過度な期待を持たないという人は意外と多く、自分を守るために見返りを求めない人は多くいるのです。
単純で計算しない人
見返りを求める人は、自分がする行動のその後について深く考えていると言え、計算された行動と言えます。
逆に見返りを求めない人は、「その後」について深く考えることはなく、単純に今のことしか考えていないと捉えることができ、見返りのことまで頭にない単純な人と言えるかもしれません。
転んでしまった人を見て咄嗟に助けに動く、大変そうな人を見て体が勝手に動くなど、突発的な行動をする人は、見返りを考えたり求める余裕がなく、素直な気持ちのまま行動していると言えます。
悪く言えば後先を考えないタイプと言えますが、その時その時の感情だけで行動し、計算が隠されていないという点からは、ピュアな人と言えるかもしれません。
大人になり様々な経験をすると、失敗や挫折を繰り返し、どうしても先々のことまで考え計算し、人に対して見返りを求めるようになってしまう。
しかし、そんな経験をしつつも素直でピュアな心を持ち続け、今というその瞬間を大切に生きている人は、計算などせずに行動に出るのです。
単純な人と一言で言ってしまえば欠点に聞こえるかもしれませんが、嘘をつかない素直な人と言え、周りには人が集まってきやすいのも事実。
計算がない、裏表がない、見返りを求めたりしないという点は、多くの人から愛される理由なのかもしれません。
利他的な行いをすること自体が好き
「人に対して、その人のためになることをすること自体が好き」というのが、見返りを求めない人の心理的特徴の一つと言っていいでしょう。
見返りを求めない人は、利他的な行いをすることで、精神的な満足感を大いに得ることができています。
つまり、相手のためになる行動をすることで満足しているわけですから、それ以上の満足を得ようという気にはなりません。
この心理を持つ人には2つのケースがあります。
1つは根っからの善人で、強いボランティア精神の持ち主というケース。
人が喜ぶ顔を見ることが大好きで、100%純粋な気持ちでその人のためになることを行うのが、このケースの見返りを求めない人と言うことができるでしょう。
もう1つは、ナルシシズムが強いというケース。
このケースは、「人のためになることをしている自分が好き」という心理をもっているのです。
人の喜ぶ顔を見ることで大満足するというよりも、そういう善行をする自分を自覚することで自己愛を満足させているのです。
もちろん、その場合でも損得勘定はいっさいしませんが、100%純粋に相手のためと言うわけではなく、自分のために利他的な行いをしていると考えていいでしょう。
いずれにしても、人のためになる行いをすることで、じゅうぶんな精神的満足を得ているために、見返りを求める必要を感じないのです。
「見返りを求めるのはみっともないこと」と思っている
「あんなふうにあなたを助けてあげたのだから、今度はそのお返しをしてほしい」と人から言われたら、どう感じるでしょうか。
あるいは、人にそんな要求をする人を見たら、どんな気になるでしょうか。
おそらく多くの人は「なんて計算高い嫌な人間なんだろう」と感じることでしょう。
人に見返りを求めるという行為は、人間としてけっして褒められたことではありません。
損得勘定で人に対してためになる行いをするのは、あさましい行為、みっともない行為なのです。
人に見返りを求めない人は、そのことをよく知っています。
人間には自尊心と言うものがありますから、そうしたみっともない行為をすれば、当然、自尊心が傷つくことになるでしょう。
中には、自尊心が希薄な人もいて、そういう人は自尊心が傷つきにくいため、人に見返りを求めてしまうこともあります。
しかし、人並みか、あるいはそれ以上に強い自尊心を持っている人は、自分が精神的に傷つくことを嫌って、人に見返りを求めることはしないのです。
つまり、「プライドが傷つくようなみっともない行為はしたくない」と考えているのが、見返りを求めない人の一つの特徴ということになるでしょう。
それほど大したことはしていないと思っている
たとえば、友達といっしょにコンビニへ行って、それぞれ買い物をし、レジに並ぶとしましょう。
その際、友達に「先にレジをすませていいよ」と順番をゆずり、自分は友だちの後に並んだとします。
たいへん小さなことですが、これも利他的な行いと言うことはできるでしょう。
しかし、その利他的な行いに対し、友達に見返りを求めるということは、ふつうはしないに違いありません。
それは、友達のためにわざわざしてあげたというほどのことではないからです。
もし、「順番をゆずってやったのだから、今度は自分のためになることをしてくれ」というような要求をしたら、友達に人間性を疑われてしまうでしょう。
つまり、自分が人にしてあげたことが些細なことであると思う場合は、人は見返りを求めようとしないものなのです。
人に見返りを求めない人は、まさにこの心理を持っています。
「自分が人にしていることは、大したことではない」と思っているため、見返りを求めようとはしないのです。
相手にとっては大変ありがたいこと、大いに助かるようなことでも、そのことを「些細なこと」と認識しているのが、見返りを求めない人の心理的特徴ということができるでしょう。
見返りを求めない人になろう
いかがでしょうか。
見返りを求める人は、どうしてもその気持ちが言動に表れてしまうものです。
もちろん何をしてあげたという行為自体に対価を払うのは至極当然といえば当然です。
しかし、全員がそうであれば何もありませんが、中には見返りを求めない人がいるため、なぜか見返りを求める人が「卑しい」といった風潮があるのも事実です。
見返りを求めるか、求めないかはあなた自身の判断で選択できますが、信用を勝ち取ったあとに大きな利益を追求するにはやはり後者が有利でしょう。
少し打算的な考えですが、後のことを考えると目先の利益よりも将来の利益を選択したほうが結果的には良さそうです。